• 生かされ、生きるチカラ。立正佼成会京都教会です。

脇祖さま報恩会

 京都教会では9月10日、脇祖さま報恩会に多くの会員が参集しました。インターネット配信で庭野会長の法話を拝見、その後、東教会長がお言葉を述べました。

 東教会長は庭野会長の「童心(わらべのこころ)」についてふれ、「謙虚に生きていこうすることは、先生のお姿そのままです」としたのち、長沼脇祖を述懐。“病気の問屋”といわれた方が70歳前まで生きられたのは、「欲張りは煩いの元」と説法し、「もっと、もっと」という人間本能のむき出しの心をいさめられたからこそで、人が歩んでいく道を示された方と紹介されました。

また長沼脇祖の本当のお姿は「慈母」であり、「あなたその食べ物の量で十分でしょう?それを喜んでいきましょう。感謝していきましょう」と少欲知足を説かれ、①それで十分じゃないの、②もう足りてるんだよ、③そのことを感謝していきましょうねと、3段階に説いて頂いた方だったと述懐されました。

「健幸行(お当番)や「お手配」という言葉も長沼脇祖が作られたもので、私たちが修行精進しやすいように環境を整えて下さったと教えて頂いたことがあります」と述べました。

 続いて東教会長は、長沼脇祖の一番根底の心は「慈悲喜捨」であり、“慈悲”とは“相手を思いやって共に苦しみを分かち合おうとする心”、“喜”とは“今頂いている量はこれで十分なんだよ”と一緒に喜んで下さったこと、“捨”とは“欲張りを捨てなさい”と説いて下さったから救われてきたと振り返り、近年、不登校の小学生をお持ちの方がたくさんおられることについてふれ、その状態を一緒に喜んでいこうとするのは、その受け止め方が大変難しいことで、『我が子が自我を持って生きようとしている』ということに、その子供の気持ちが少しずつ分かってくると母親自身の成長につながり、母親自身が周りの人々を労われるようになってくると子供の姿も変わってくると救われた事例を紹介しました。

 最後に長沼脇祖の『手作りは人も料理も慈悲の味』『もらうより与える喜び布施の人』という句を紹介。私たちも、人のありようを喜んでいく、人と比較する心を捨てていく、という中に救われがあると結びました。

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