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祇園祭ボランティア勉強会・説明会

 京都・祇園祭ボランティア21は4月12日、上京区の京都府モラロジー協議会において今年度のボランティア勉強会・説明会を開催し、加盟団体の代表者が集合、京都教会青年部からも1名が参加しました。

当ボランティアの会長あいさつの後、公益財団法人 祇園祭山鉾連合会理事長の木村幾次郎氏から約1時間、祇園祭についての講演があり、参加者は熱心に耳を傾けました。

 平安京の頃から「町」「坊」があり、現在もその頃の名称がそのまま残っていることや、道を挟んで上下を一つの「町」として形成され、町ごとに「木戸」が設けられ夜になれば閉められた風習があったことから、今でも山鉾の曳き初めの際、隣町に挨拶に行くのは、この頃の木戸を越えることによる名残りではないかという独自の視点から解説されました。また応仁の乱(1467~1477年)以前と以後で祇園祭の様相がずいぶん変わったとし、応仁の乱以前は前祭(さきまつり)が32基、後祭(あとまつり)は28基と現在よりもはるかに多い山鉾で巡行しており、中には名称も変わった山鉾もあるとしました。

 巡行を支える経済基盤についてもふれ、各町内がお金を出して運営し、永年、各町内独立採算制だったため隣の町内のことは分からなかったことで明治に入って困窮してしまう町内が増えたことから、明治以降、各町の経済状況を八坂神社に報告するようになったと、その経緯を述べました。また祭りの支援は住人の寄付によるものではあるが、長刀鉾町の住人は0人で、理事長自身をはじめ多くの方々のボランティアによって支えられていると当会にも感謝の意を述べました。

鉾の方向を調整する「車方(くるまかた)」についても、昔は大八車(だいはちぐるま)を作っている車大工という職人がおられたが、今はおられないため、車方の練習の場がなく、ほとんどがぶっつけ本番で継承する難しさがあり、そのため辻回しの時間が長くなってしまうなど、昨年の車輪の破損を振り返りながらも祇園祭を支える町衆の意気込みを代々伝えていきたいと締めくくりました。

その後は各委員会から今後の活動スケジュールが発表され、今年度の活動が始まりました。