• 生かされ、生きるチカラ。立正佼成会京都教会です。

降誕会

 降誕会式典が4月8日、教会法座席で行なわれ多くの会員が参拝しました。本部大聖堂とのインターネット配信も併用しハイブリッドな式典となり、教会での司会は釈尊降誕にちなんでインド本場のサリーを身にまとい、華を咲かせました。

 教会独自式典の初めに、少年部制作の小学新1年生の紹介ムービーが流れると会場からは笑みがあふれ温かい拍手が送られました。

 その後、東教会長はお言葉の中で、自身が本部でお役を頂いていた頃に小学校の前に花御堂を出したことがあり、お昼休みに子供たちや学校職員が大勢合掌して灌仏してくれたと述懐。子供たちの純真さ、尊いものを拝む姿勢に逆にこちらが心洗われたと当時の様子を振り返りました。続いて「大人(たいじん)は赤子(せきし)の心を失わず」という孟子の句を引用。高徳の人は幼時の純真な心をいつまでも失わず、それをひろめて大きな徳をそなえるようになったと解説しながら、『何を信じ、何を仰いでいくのか』と佼成4月号の庭野会長のご法話にもふれ、もう一度、純真な心を大事にしていきましょうと述べました。

 また、京都の各地の寺院に保存されている涅槃図を紹介。涅槃図から八正道、無常の教えを学ぶことが出来るとし、信仰は奇跡を願いがちではあるが、釈尊が残されたものは教えであって、それをいかに実践していくか。つまり、信仰とは教えを学び実践することであり、自分自身の人生観を変え、人さまをお救いしていくという菩薩の誓願をもって私たちは生まれてきたと述べ、自分たちの足元を再確認して精進しましょうと締めくくりました。