• 生かされ、生きるチカラ。立正佼成会京都教会です。

終い供養

 京都教会では12月15日に終い供養を行ない、多くの会員が参拝しました。

比叡山山頂が真っ白になったこの日、読経供養の前に初めての試みとなったこの供養の趣旨説明が東教会長から行なわれました。

終い弘法、終い天神に倣って名付けた今回の終い供養は、本年1年間を振り返り私たち子孫がご先祖さまに守って頂いたお礼言上として、自宅から持参した過去帳のすべてのお戒名を読み上げることで、ご存じの方やそうでない方も含め、ご先祖の1人として欠けると今の自分がないことに総感謝の日とさせて頂きたいと述べました。

 読経供養は東教会長を導師に、三部経の如来寿量品第十六、常不軽菩薩品第二十、観世音菩薩普門品第二十五及び青経典の陀羅尼品第二十六、普賢菩薩勧発品第二十八(陀羅尼)を読誦しました。

 その後のお言葉で東教会長は、日頃の年回供養などは『この方』と決めてあげさせて頂いているが、今回は家のすべてのお戒名をあげさせて頂くことが出来たとし、総供養と言わずに総感謝としたいとあらためてその趣旨にふれました。

また12月1日の庭野会長のご法話から、京豆腐について述べられたことを振り返り、揚げても良し、焼いても良し、柔らかくても形を崩さず、味がないようで味があり、平凡なようで非凡であることから、京豆腐は縁を選ばないとし、これは信仰に徹した人の姿と同じで、このような人になることを目標とさせて頂きたいとしました。十功徳品第三にもふれ、能捨の心や布施の心そして禅定や智慧の心を身につけることの大切さを述べ、来年1年間の精進を促し結びました。